「勿体ない」という勘違い
ネギ4本が100円。でも一人では駄目になる前に使い切れない。だから買うのは勿体ない。
しかし、いったい何が勿体ないというのだろうか。
使わずに捨ててしまうのが勿体ないのだろうか。だが、どうせ売れ残ったらお店の人に捨てられてしまうのだろう。一個人の些細な倹約で飢餓の人々が救われるはずはないし、地球環境の配慮や農家の人への感謝にすら微塵もつながらない。
お金が勿体ないのだろうか。100円なんてジュースやゲームセンターで無駄遣いしているだろう。倹約する優先順位が間違っているし、きちんと野菜をとって健康に投資した方が将来的な医療費の節約にもなる。
畢竟するに、「勿体ない」というのは「勿体ないという感覚または感情」であって、「自分はそれ(勿体ないと思うモノ)を活かしきる能力のない人間である」という体験(または自覚)を回避するための防衛規制、というわけだろう。
たちの悪いことに、そこには「自分は無駄遣いをしない人間である」というエゴインフレーションをともなうおまけ付き。しかしそれは、間違った(勘違いの)価値観によって基礎づけられたものであって、甚だしく不安定な土台の人間を築いてしまうし、無意味な葛藤にもさいなまれることになる。不幸な人間である。 |