当たり前の話なんだけど、行き当たりばったりっていうのはろくな結果になりゃしない。半分は自分が悪いんだけど、やはりディレクションをする人間が前もって方向性を決めておくっていうのは、必要でしょ、やっぱ。
(いろんな意味で)だんだんと結果が出てくるにしたがってより一層そう思ってしまうのは、自らの能力的な限界を他人に投影したいだけだというのでしょうか。
所詮オペレーターってことか。ま、そんなもんでしょ。オペレーターってーなら提案なんてしないけどね、そんな上等なこと。
つくづく夢見がちなことがいかに危険であるかを感じる今日この頃。夢を抱くことと淡い期待におぼれることの区別がつかないのは惨烈。日曜日の朝日新聞の、人材募集欄に書いてあったエッセイみたく、今ある自分自身に基づく実存的な認識から出発したビジョンに向かって、能動的に活動することとは対極に位置するのでしょう。
「こうだったらいいな」とか「こうなったらいいな」っていう未来に対する淡い期待ではなく、「こうするためにはどうすればいいのか」という現実に即した希望的観測のないビジョン。そういうのを持ちましょう。現実は現実。難しいね、はは。
デカルトについて読んだら、「過去の時代に行われていたことにあまりにも興味を持ちすぎると、今の世の中で行われていることについてはきわめて無知でいるというのが普通」とか「最も忠実な歴史でさえも…些細な事柄は省いており…あるがままの通りには現れていないということになる」とか「かような歴史に範をとって自らの生活ぶりを律しようとする者は、我々の騎士物語の主人公たちの、あの常軌を逸した振る舞いをしでかしかねないということになる」などなど、共感的な記述が多い。
そんなデカルトは
La Flèche の王立学院時代、健康上の理由から朝寝を許されていたという。そんでスウェーデンの女王 Kristina
Wasa に招聘されて、毎朝5時に講義させられて、肺炎で死んじゃったって話。(砒素による毒殺ではなかったかという説もある。)
|