ここ数日、風邪に似た症状で寝込んでいた。偏頭痛のようながんがんとする痛みではないのだけれど、ぐぅっと中心が圧縮されるような、肩こりのような頭痛に終始悩まされた。おにぎりを食べてすぐに吐き気を覚えたため横になると、悪寒と筋肉の痛みがやってきて、2日ほど起きていられなかった。起きて何かをする間は脂汗をかかなくてはならず、胃痛はないのだけれども胃に意識を向けると吐き気に襲われた。なんともいえない頭痛のために眠りにつくこともままならず、苛立つばかりだった。気管支と肺もすこし弱っていたようで、2日目はその具合の悪さが気になったが翌日にはおさまった。
女の影にはいつも男が存在するものだ。よい意味でも悪い意味でも。厭世主義者にとっては往々にして悪い意味となるのだが。アニマの影にはシャドウが潜んでいるのだろうか。病はトリックスターのひとつの戦略なのだろうか。英雄は残虐な排外と破壊しか持たなくなったのだ。暴君と化した者は迫害されねばならない。遠い昔に家臣から取り上げた妻に助けられるまで。
歯が外れてしまった。すべての歯が。なぜだかはわからない。一緒に脊髄らしきものまで引っこ抜けてしまった。市外局番が 02
で始まる医者を探すのだがこれがまた見つからない。焦って自分ではめようとも思うのだが、なかなかどうしてうまくいかない。手元が狂って脊髄がのどに突き刺さったりしたら一大事だ。一度狂ってしまった歯車を元に戻すのは大変だ。それとも狂うことを前提に作られていた?もともと壊れているものを直すのは、壊れてしまったものを直すことよりも難しい。
このタイプ(内向的思考型)が度を越すにつれて、彼の信念はますます頑固で強情になってくる。未知のものからの影響は排除され、対人的にも親しくない人には行為を示すことがなくなり、その代わりにごく近しい人にはますます依存するようになる。彼の発言はますます個人的で独りよがりになり、彼の理念は深まるが、しかし手持ちの材料ではもはや十分にそれを表せなくなる。この材料不足の埋め合わせとして情緒不安定で傷つきやすくなる。彼は未知のものからの影響を外からくる場合には断固として拒否するが、それが内から―無意識の側から―襲ってくるのに対しては、反証―それも他の人から見ればまったく些細な事柄に対する反証―を集めなければならなくなる。客体との結びつきが欠けているため彼の意識は主観的になり、その結果彼には、ひそかに自分の人格と最も強く結びついているものが最も重要に見えてくる。こうして彼は主観的な心理を自分の人格と混同し始める。確かに彼は自らの信念を個人的に誰か他人に押し付けようとすることはしないが、しかしいかなる批判に対しても―たとえ正しい批判であっても―個人的な憎悪の念を込めて立ち向かっていく。こうして次第に彼はあらゆる面で孤立してしまう。最初は生産的であった彼の理念は破壊的になる、というのは理念が憤懣の念に毒されてしまうからである。外部に対して孤立するにつれて、無意識の影響力との戦いが増大する、というのはしだいに無意識が彼を麻痺させるようになるからである。より孤独癖が強まるのは本来は無意識的な影響力から身を守るためであるが、しかし一般的には彼を内的に消耗させる葛藤により深く巻き込まれることになる。(Carl
Gustav Jung "Psychologische Typen" 1921、林道義訳 『タイプ論』)
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