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4/12(金)

Windows XP Home Edtion
Windows XP Home Edition ノリで \12,800 出してアップグレード版をゲット。エプソンダイレクトで買ったパソコンなんでOSはプレインストールされてるんだけどそういうんでも平気って書いてあるから安心してたら、リカバリーCD読みこまねえでやんの! Windows 2000 のアップグレード版があったのでそれを入れたら動いた。しかしガッデムだね、エプソンダイレクト。Sony みたいなブラックボックス化するのとまた一味違うウザさです。
 しかし、しかし速すぎる。快適すぎる。というかいままでの Windows Me はなんだったんだろう。かねがね悪いうわさしか聞いていなかったがここまで差があろうとは思わなんだ。

 そういえば西武新宿の映画のポスターで知ったんだけど、パトレイバー3がやってるそうじゃないか。チェックしにいかねば。ってアニメオタクかい。

Slinky Presents Superclub DJ's GuyOrnadel
 イギリスの一番有名なクラブ?Slinky のコンピ。Slinky Factory 3 を買って気に入ったことがあったのでずいぶんと前にふたたび買った。プログレッシブばっかで買った当時はあんま慣れてなくて聴いてなかったんだけど、最近手持ちのCDが尽きてきたのでしかたなく聴き始めた。DiskTwo の Track 09、Bullit の Cried To Dream (Max Graham Mix) にハマった。後半のダッチトランスなノリがたまんない。ひさしぶりに Sony の2万円くらいしたヘッドホンで聴き入る。

4/11(木)

 ここ数日、風邪に似た症状で寝込んでいた。偏頭痛のようながんがんとする痛みではないのだけれど、ぐぅっと中心が圧縮されるような、肩こりのような頭痛に終始悩まされた。おにぎりを食べてすぐに吐き気を覚えたため横になると、悪寒と筋肉の痛みがやってきて、2日ほど起きていられなかった。起きて何かをする間は脂汗をかかなくてはならず、胃痛はないのだけれども胃に意識を向けると吐き気に襲われた。なんともいえない頭痛のために眠りにつくこともままならず、苛立つばかりだった。気管支と肺もすこし弱っていたようで、2日目はその具合の悪さが気になったが翌日にはおさまった。

 女の影にはいつも男が存在するものだ。よい意味でも悪い意味でも。厭世主義者にとっては往々にして悪い意味となるのだが。アニマの影にはシャドウが潜んでいるのだろうか。病はトリックスターのひとつの戦略なのだろうか。英雄は残虐な排外と破壊しか持たなくなったのだ。暴君と化した者は迫害されねばならない。遠い昔に家臣から取り上げた妻に助けられるまで。

 歯が外れてしまった。すべての歯が。なぜだかはわからない。一緒に脊髄らしきものまで引っこ抜けてしまった。市外局番が 02 で始まる医者を探すのだがこれがまた見つからない。焦って自分ではめようとも思うのだが、なかなかどうしてうまくいかない。手元が狂って脊髄がのどに突き刺さったりしたら一大事だ。一度狂ってしまった歯車を元に戻すのは大変だ。それとも狂うことを前提に作られていた?もともと壊れているものを直すのは、壊れてしまったものを直すことよりも難しい。

 このタイプ(内向的思考型)が度を越すにつれて、彼の信念はますます頑固で強情になってくる。未知のものからの影響は排除され、対人的にも親しくない人には行為を示すことがなくなり、その代わりにごく近しい人にはますます依存するようになる。彼の発言はますます個人的で独りよがりになり、彼の理念は深まるが、しかし手持ちの材料ではもはや十分にそれを表せなくなる。この材料不足の埋め合わせとして情緒不安定で傷つきやすくなる。彼は未知のものからの影響を外からくる場合には断固として拒否するが、それが内から―無意識の側から―襲ってくるのに対しては、反証―それも他の人から見ればまったく些細な事柄に対する反証―を集めなければならなくなる。客体との結びつきが欠けているため彼の意識は主観的になり、その結果彼には、ひそかに自分の人格と最も強く結びついているものが最も重要に見えてくる。こうして彼は主観的な心理を自分の人格と混同し始める。確かに彼は自らの信念を個人的に誰か他人に押し付けようとすることはしないが、しかしいかなる批判に対しても―たとえ正しい批判であっても―個人的な憎悪の念を込めて立ち向かっていく。こうして次第に彼はあらゆる面で孤立してしまう。最初は生産的であった彼の理念は破壊的になる、というのは理念が憤懣の念に毒されてしまうからである。外部に対して孤立するにつれて、無意識の影響力との戦いが増大する、というのはしだいに無意識が彼を麻痺させるようになるからである。より孤独癖が強まるのは本来は無意識的な影響力から身を守るためであるが、しかし一般的には彼を内的に消耗させる葛藤により深く巻き込まれることになる。(Carl Gustav Jung "Psychologische Typen" 1921、林道義訳 『タイプ論』)

3/31(日)

アフタヌーン 5月号 (講談社) 3/25発売
月刊アフタヌーン 5月号 最後に掲載されている博内和代の『SEA SIDE SOUVENIR』がなかなか。souvenir(スーブニール)は「記念品、形見、おみやげ、思い出」という意味。ラテン語で「心の中に起こる」を意味する subvenîre が語源のフランス語に由来する。
 本作は4作目で、前作は『バナナチ○コ』(2000年)だったとか。うーん、本作からは想像もつかない…。他に『チャックのある風景』(1997)、『外環視点』(1998)があるらしい。そんな博内(はかない)はサッカーフリークでジュビロ磐田のファンとか。『Sea Side Souvenir』博内和代
 キャラの絵柄は微妙で感情移入しにくいが、逆にそれが作品自体を鑑賞できるのかも。他人に棄てられた人たちが幽霊となって海岸で生活をする話。打ち棄てられモノたちが海岸にうち寄せられて、波と砂の間で素敵な青空をうたう。なんていうか自分の原風景に近いイメージに触れられて強迫的じゃない想像っていうものを思い出した、のかも。
 といってもかなり重い話で、現実的な話なんだけど痛々しく表現してる(わけでもないか、これが現実ってやつなんでしょーか。)とこがやや神経症的というか。逝っちゃってないけど夢見がちな部分はやっぱ逃避っぽい。こういうのってみんなそんなもんか。文学だろうとなんだろうと。

「バベルの塔」(ブリューゲル作)"the tower of babel" Pieter Bruegel
 神のお告げでパズルを買う。でかすぎず少なすぎずの無難そうな1000pcs.(ピース)にした。16世紀 フランドル派の画家 Pieter Bruegel(ピーテル・ブリューゲル)の「バベルの塔」。ウィーン美術史美術館所蔵の方。もう一枚はオランダ、ロッテルダムのボイマンス=ファン・ベーニンゲン美術館(Boymans van Beuningen Museum)にある。印刷がはっきりしてなくてピースごとだと見分けがつかなくて大変。時間は計ってないけどおおよそ15時間くらいで完成したのだろうか。最初6時間ほどぶっ続けでやって三分の一くらいできて、その後は休み休みやって完成させる。

 Bable(バベル)は Babylon(バビロン)のヘブライ語での呼び名で、Iraq(イラク)中部、首都 Baghdad(バグダッド)の南90kmのユーフラテス川両岸にまたがる Mesopotamia(メソポタミア)の古代都市。語源は「神の門」を意味するアッカド語 Bâb‐ili(バブ・イル)だが、ヘブライ人は「乱す」を意味するヘブライ語 bâlal(バーラル)と結びつけて、人類の罪の増大に対する神の対応を語る旧約聖書《創世記》11章の物語に利用した。アッカド語の方言であるバビロニア語では Bab. ilim(バビリム)と言う。
 Babylon の聖塔 ziggurat(ジッグラト)はシュメール人が着工、未完であったものを後の時代の新バビロニアの王たちが工事を再開し、前7世紀 Nebuchadnezzar(ネブカドネザル)2世の時にようやく完成した。この王の碑文から一辺と高さが各約90m、階段ピラミッド状で、第6層目の上に神殿があったと推定される。
 聖書によればバベルの塔は Mesopotamia の平野にたっていたとされるが、Bruegel はあえてこの塔をベルギーの風景の中に再現した。このバベルの塔はアーチが重なりあった構造をしており、これはローマの Colosseum(コロセウム)を研究した成果であるという。
 ちなみに細野不二彦の『ギャラリーフェイク』でも、第22集 ART.6「メソポタミアを統べる者」においてテーマになっている。

3/26(火) persona non grata(ペルソナ・ノン・グラータ)
 ラテン語から。好ましからざる人物を言い、特に相手国にとって好ましくない外交官を指す。
Googleで検索したところ約241件も引っかかった。これに対して「好ましい人物」を意味する persona grata を検索したところ、約55件だった。自分のサイトでもでかでかと載っけているので何とも言えないところだが、いかに多くの人が「好ましからざる人物」であることを望んでいるかということがうかがい知れる。

心程(こころほど)の世を経る
 人はその心がけに応じて、それに相応した生涯を送るものだということ。「人は生きたようにしか死ねない」という言葉とほぼ同義と思われる。
 松江重頼による江戸初期の俳書『毛吹草(けふきぐさ)』から。
「心柄(こころがら)の世を経る」「人は心程の世を経る」とも。
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