言葉なき歌

中原中也

『在りし日の歌』より

あれはとおいい処にあるのだけれど
おれは此処で待っていなくてはならない
此処は空気もかすかで
(ねぎ)の根のように(ほの)かに淡い

決して急いではならない
此処で十分待っていなければならない
処女(むすめ)の眼のように遙かを見遣ってはならない
たしかに此処で待っていればよい

それにしてもあれはとおいい彼方で夕陽にけぶっていた
号笛(フイトル)()のように太くて繊弱だった
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処でまっていなければならない

そうすればそのうち喘ぎも平常に復し
たしかにあそこまでゆけるに違いない
しかしあれは煙突の煙のように
とおくとおく いつまでも茜の空にたなびいていた

中原中也の詩