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喜べること

 何の役にも立たない話をひとにして、時間を浪費した。それ以前に鬱で1日無駄にしているから大した無駄でもないけれど、自分が関わったことが無駄になると分かれば、だれでも落胆するものだろう。それが一生懸命であればあるほどより一層。さらに自分が自己満足のためにべらべらと話をしたのかと思うとやりきれない怒りが自然とわいてくる。
 嘘くさいセリフや型にはまった言動はいくらされたところでたいして嬉しくはならない。本当に喜べるのは、自分が関わったコトやモノやヒトが良い方向に大きく変化したときじゃないだろうか。
 自分が関わるコトやモノやヒトが良い方向に大きく変化するためには、その対象をよく観察し、その対象にとって最も必要なことを与えることだと思うけれど、自分の言動がいつものクセや傾向のままではなかなかそれができず、あるいは観察や最も必要なものを考えることすら忘れてしまう。いつものクセが、大切な視線をすぐに他にずらしてしまう。
 自分が喜べるようになるためには、視線をそらさず、イレギュラーなイベントに流されずに、対象に必要なことは何なのかを考え続けることであって、そうし続けるために創意工夫をするばかりである。

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2004年4月 6日 00:00に投稿されたエントリーのページです。

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