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2004年2月 アーカイブ

2004年2月 7日

リアリティ、そして走りながら考えること

 先月26日に奥菜恵と入籍した、サイバーエージェントの藤田晋社長の講演を聴く機会が昨年の年末にあり、その中で「リアリティ」と「走りながら考える」ことの重要性を説いていたことが特に気なった。そのことについて今日は朝から考えている。

 リアリティ。離人症的な感覚がずっと抜けないでいる自分にとっては、とても意味のある言葉だ。
 ひとは寿命があるから一生懸命に生きられるのだというような話を以前どこかで聞いたことがあるが、もし不老不死にでもなったらたいしてやる気も起こらなくなるんだろうと確かに思う。
 藤田社長も「絶対に後悔のない20代を送りたい」というようなことを言っていたが、その20代の後悔というリアルさを彼は持ち続けることができたことがモチベーションの高さにつながっているひとつの要因なんだろうと思う。

 走りながら考える。特別に非凡な才能を持っているわけではない人間は、常に先の不安に備えることが大切だと思っていたし、いまでもそう思う。だから「走りながら考える」なんてことは猪突猛進の単純な人間のすることだと思っていた。
 しかし、先の不安を考えてばかりで常に逡巡しているようでは人生を切り開いていくなんて事は皆目不可能であるし、なによりも足踏みをしている時間が勿体ない。
 「作業」とは誰がやっても同じ事であって、ユングのタイプ論でいう直観型の人間には特に避けたいことだ。しかし秘書を雇えるような経済力があるわけではないのなら、必ずなんらかの作業をしなくてはいけない。そういう作業が「走る」ことであり、もちろん作業そのものをおろそかにしてはいけないが、過度に作業に集中してもそこからしか得られないものはほとんどない。
 そして作業とは現実である。考えることは決して現実のアクションではないが、作業をすることはリアリティの中に身を置いているということであり、その中で考えることは、すなわちリアリティを持つと言えるのではないだろうか。

 物事の本質は何か。自分という現存在にとって本質的に必要なことは何か。そこから導き出される目的は何か。結局は目的意識を持つことがリアリティを持つことであり、それがモチベーションの高さへとつながっていくのだろうと思う。モチベーションが高くても行動が間違っていれば現実はあるいは全く改善されない。間違った行動にモチベーションをつぎ込まないためにも、本質的な目的意識を持つこと、そして逡巡しないために、走りながら考えることが必要なのだと思う。

 ここでのリアリティとはすなわち危機感であり、切迫感である。危機感というよりは危機意識、と言った方が良いかもしれない。焦燥感ではないはずだ。焦りは迷いを呼ぶ。しかしリアリティはきっと決断を促すはずだ。

 走りながら考えるというのは、実際にやろうとするとなかなかできない。物事に没頭しやすい人間の頭はシングルタスクにできあがってしまっている。これには訓練が必要だし、素質の問題もあるだろう。自分が走りながら考えることを武器に出来るかどうかは、ある程度訓練してみて、それから見極める必要があるだろう。

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